10年以上前、飯山満方面をウオーキングしたとき、
飯山満道路わきの上のほうに、怪しげな小屋が見えたので、階段を登ってみると小屋の裏に、寛永(寛政だったかな?)とか天保など、江戸時代の年号が刻まれた墓石がいくつも打ち捨てられたて置かれていました。
墓石、こんなに粗末にしていいのかな?と、その時思いました。
先日、飯山満をウオーキング。
以前、立ち寄った怪しげな小屋の周辺は整備されていて様変わりしていました。小屋の裏の墓石も、なぜか整然と、きちんと並べられていました。
飯山満駅の南方面(前原方面)は土地開発、道路整備が進んでいました。
「この地域は、今後の発展のために頑張っています。もう少し待ってください」というオーラを感じました。
どこから持ってきたのか、(駅前に近いのですが)古い墓石が整然と並べられた区域もありました。
なんで、いまごろ古い墓石にこだわっているのかなとも思いました。ずっと大切にしていればよかったのに。
尾崎放哉(ほうさい)という俳人がいます。
国語総覧(購入した中学生もいると思います)にも一つだけ作品が載っています。
こんな作品です。
墓のうらに廻(まわ)る
尾崎放哉は何を思ってこの作品(俳句?)を書いたのかわかりません。
もし、墓のうらに廻ったことがある人なら、個人的な感慨を抱くかもしれません。
墓のうらに廻ったことのない人でも、様々な想いが過(よぎ)るかもしれません。
尾崎放哉にはこんな作品もあります。
漬物石(つけものいし)になりすまし墓のかけである
これは、とても微笑ましい作品だと思いました。
小豆島(しょうどしま)を訪れた放哉、彼はそこで打ち捨てられた墓石を見て憤慨しました。
でも
漬物石に変身(転職)して活躍している墓石を見て感動したのだと思います。
しかし
「あの句は悲しい句です」という同僚(国語の先生)もいました、
墓石=過去の栄光、漬物石=落ちぶれた今の状態と解釈するのです。
俳句はいろいろ解釈できるので、面白いのかもしれません。
入試では詩歌はあまり出ません。
その理由は何となくわかります。(詩歌の)解釈に絶対はないからです。
怪しげの小屋の正体を調べてみました。
飯山満薬師堂第39番
詳しいことはわかりませんでしたが、番号の説明はネットでわかりました。ここに書き込むと長くなりそうなので興味のある方は[飯山満薬師堂第39番]を検索してみてください。