以前勤めていた塾で、正月特訓の初日、中3生全員を連れて塾近くの神社に合格祈願に行ったことがあります。
合格祈願
祭り(遊び)みたいな感覚で神社に連れて行ったのですが
神主さんが、生徒一人ひとりの名前を呼びながら合格祈願の言葉を発すると、
生徒全員が私の授業を聞く時以上に真剣に神様に手を合わせて黙禱(もくとう)しているのでした。
神様や仏様を信じる信じないの問題ではなく
「受かりたい」という想いが姿に現れるのだと思いました。
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学誠舎の近くには御嶽神社があります。
新年を迎えたときには合格祈願のお札などを購入します。
来年も合格祈願のお札を購入すると思いますが、
実は今年、年内に上野に行って
上野の寛永寺近くにある「上野大仏」を見学してこようと思います。
上野大仏(合格大佛)
(柳美里という作家の「JR上野駅公園口」という小説で知りました)
もともとは「関ヶ原の合戦で死んだ人を供養するために建立された」そうですが、
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以下、Wikipediaを参考に記すと
寛永8年(1631年) 大仏を改めて建立
慶安2年(1649年) 地震により 頭部が落下
天保12年(1841年) 火災のため 頭部(頭の上の方)が焼けただれ落ちる
安政2年(1855年) 地震により 頭部が破損(落下とは書かれていない)
大正12年(1923年) 関東大震災により 頭部が落下
戦時中に金属供出のため、胴体部分と頭部は持ち去られ、顔面部分だけが残った。
昭和47年(1972年) 残された大仏様の顔面部のみを安置。
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胴体と頭部を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で2000年代前半から受験生らが祈願するようになり
「合格大仏」と呼ばれるようになったそうです。
頭部が何度も落ち、最後は身体(からだ)全てが持ち去られ、悲惨でかわいそうな大仏様でしたが、
顔面だけになって「もう落ちない」。
それだからなおさら「ごりやく(御利益)」があるのかもしれません。