少女の凄まじい原爆体験

先日、中2の国語の授業で

「もしも」で始まる小説文の問題がありました。

原爆は、当初、小倉(今は北九市)に落とす予定であったが、小倉の空が曇っていたので目的地点を特定できず、急遽(きゅうきょ)、晴れていた長崎まで飛んで、そこに原爆を落とした。

だから

「あの日、もしも小倉の上空が曇っていなかったら、私はこの世におらんかったかもしれん」と小倉に住んでいた昭和3年生まれの祖母の話から小説が始まりました。

 

小説文の問題を終えた後、

Hさんが 

「原爆の話をして下さい。」

私も、実体験などありません、だから

「原子雲の下に生きて」と言う本(原爆体験をした長崎の子どもたちの手記)の中で強烈な印象を受けた手記があり、その話をしました。

授業では、要約して話しましたが

手元に原文があので、抜粋してみました。

かなり衝撃的な内容です。

 

 【原爆が落ちたあと、2歳の妹が家の柱の下敷きになってしまった。

 大きなハリに足をはさまれて、泣き叫んでいた。

 水兵さんも手伝って、ハリを外そうとしたけど、びくともしなかった。

 水兵さんも「これはダメだ」と言い始め、つぶれた家から人を救うために行ってしまいました。

 ・・お父さん、お母さんは何をしているのだろう。早くしないと妹の足がちぎれてしまう。

 向こうから矢のように走ってくる人が目についた。

 はだかでむらさきいろの体。大きな声を出して私たちに呼びかけた。

 「おカアちゃん」

 母は、水兵さんでも動かせなかったハリ(柱)の下のすき間に身を入れ肩にかつぎ、

 「ウウウ・・・」と全身に力を込めた。

 バリバリバリっと音がしてハリが浮き上がり、妹の足が、はずれた。

 お母さんは、引きずり出した妹を固く抱きしめた。

 (少したって)私はお母さんのすがたを落ち着いて見ることができました。

 お母さんは、私たちにお昼に食べさせるナスを畑でもいでいるときに、ばくだんにやられたのであった。

 上衣もモンペも焼き切れ、ほとんどまる裸になっていた。体じゅうの皮は大やけどで、ジュルジュルになっていた。

 さっき、ハリをかついで押し上げた右肩のところだけ、皮がぺろりとはげて、肉が現れ、赤い血がしきりに、にじみ出ていた。・・お母さんは(妹を抱きしめたまま)ぐったりとなって倒れた。

・・お母さんは、苦しみはじめ、もだえもだえて、その夜、死にました。】

 

荻野美智子という10歳の少女の手記です。

いまの中学生にとっては衝撃が強すぎるかもしれませんが、これが原爆の下にいた人々の現実です

 

「なぜ、日本は戦争を始めたの?」という質問も受けました。

少し話しましたが、社会の時間に詳しく話したいと思います。

ただし、なぜ日本が、あの不幸な戦争に突入してしまったのか。 

「あの戦争は何だったのか?」

まだまだ、よくわからない部分もあるし、私の勉強不足もあり、生徒と同じように自分も学んでいきたいと思います。